今に始まった事じゃなし。
2003年10月11日お久しぶりです。
ゆめの日記を読んで下さっている方々、お元気でいらっしゃいますか?
昨日は社会見学に行って参りました。
初めに申しておきますが、ゆめは所詮、こんな奴ですので、まともに楽しめたりとかは決して御座いません。
ゆめの班は女子5人班です。
簡単に紹介致しましょうか。
まず言葉巧みで班で皆から一番慕われているAちゃん。
次に、ゆめがちょっとAちゃんに近付くと、敵対心丸出しにしてくる少々困ったBちゃん。
快楽主義で、世渡り上手とは恐らくこの様な人の事を言うのでありましょう、Cちゃん。
気分屋で、良く憤慨なさっているDちゃん。
最後に、一刻も早く社会見学の幕を閉じようとしている、孤独を愛するゆめ。
そんなこんなで(?)只、疎外感ばかりが残る1日でした。完。
ところで、今から考えると、ゆめの中学2,3年時の社会見学,修学旅行はまずまず楽しいものでした。
当時は「高校に入ったら友達をいっぱい作って、今なんかよりずっと楽しい学校生活にする。」などとおかしな事を夢見ていましたが、現実はそう甘くはありません。
帰りの電車の中で1人、ゆめはいつからこんな淋しい人間になってしまったのかと考えておりました。
小,中の頃は、それなりに属するグループと言うものが有った気が致します。
「そう言えば、小6の頃、社会見学で友達の言葉に激怒して、1人先頭をきって単独行動していたっけ。」
「中1の合唱コンクールで喧嘩して、泣きながら一人ぼっちで帰って来た記憶があるなぁ。」
なんだ。
昔から何も変わってないんだ。(結論。)
ゆめは悟りました。
今回の社会見学が最悪だったのは、入学時のクラス編成が悪かった訳でもなく、ゆめが友達作りを出遅れて、一人カヤの外になってしまったからでもなく、元々の性質だったのです。
後悔する事なんて何も無かったんです。
もし、有るとしたら、こんな自分に生まれついてしまったと言う事です。
自分を変えなければ、人並みに楽しい人生を送る事が出来ないと言う悲しい性です。
ゆめは今のところ自分を変えられるだけの心の余裕と言うものが有りません。
なので、今の自分でも何とかやっていける‘方法’を見つけたいと思います。
ゆめの日記を読んで下さっている方々、お元気でいらっしゃいますか?
昨日は社会見学に行って参りました。
初めに申しておきますが、ゆめは所詮、こんな奴ですので、まともに楽しめたりとかは決して御座いません。
ゆめの班は女子5人班です。
簡単に紹介致しましょうか。
まず言葉巧みで班で皆から一番慕われているAちゃん。
次に、ゆめがちょっとAちゃんに近付くと、敵対心丸出しにしてくる少々困ったBちゃん。
快楽主義で、世渡り上手とは恐らくこの様な人の事を言うのでありましょう、Cちゃん。
気分屋で、良く憤慨なさっているDちゃん。
最後に、一刻も早く社会見学の幕を閉じようとしている、孤独を愛するゆめ。
そんなこんなで(?)只、疎外感ばかりが残る1日でした。完。
ところで、今から考えると、ゆめの中学2,3年時の社会見学,修学旅行はまずまず楽しいものでした。
当時は「高校に入ったら友達をいっぱい作って、今なんかよりずっと楽しい学校生活にする。」などとおかしな事を夢見ていましたが、現実はそう甘くはありません。
帰りの電車の中で1人、ゆめはいつからこんな淋しい人間になってしまったのかと考えておりました。
小,中の頃は、それなりに属するグループと言うものが有った気が致します。
「そう言えば、小6の頃、社会見学で友達の言葉に激怒して、1人先頭をきって単独行動していたっけ。」
「中1の合唱コンクールで喧嘩して、泣きながら一人ぼっちで帰って来た記憶があるなぁ。」
なんだ。
昔から何も変わってないんだ。(結論。)
ゆめは悟りました。
今回の社会見学が最悪だったのは、入学時のクラス編成が悪かった訳でもなく、ゆめが友達作りを出遅れて、一人カヤの外になってしまったからでもなく、元々の性質だったのです。
後悔する事なんて何も無かったんです。
もし、有るとしたら、こんな自分に生まれついてしまったと言う事です。
自分を変えなければ、人並みに楽しい人生を送る事が出来ないと言う悲しい性です。
ゆめは今のところ自分を変えられるだけの心の余裕と言うものが有りません。
なので、今の自分でも何とかやっていける‘方法’を見つけたいと思います。
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非博愛主義者の現実逃避。(追加。)
2003年10月1日大変ご無沙汰しておりました。
最近はバイトやら学校の宿題やらで時間に全然余裕と言うものが御座いませんでした。泣
最近1番の困り事は、体重が鰻登りに急増してしまい、試着可能な衣類が尽きてしまったことです。
鏡に映る自らの制服姿が妙にころころとしていて、登校前の気分は更に憂鬱になります。泣
それは良いとして、最近お弁当フレンド(一緒にお弁当を食べさせてもらっている他クラスの内の1人)に彼氏が出来たとの話で持ち切りです。
気になるお相手は。。。のびた君。
眼鏡付きでもやしっこの小柄な彼。
成績優秀な文学少女にはお似合いと言うか、何と言うか…でも、傍目から見ればとても微笑ましいカップルです。
あ、今日告白まがいな事を言われました。女の子から。
「好みのタイプはゆめって言っても良い?私、ゆめの全てが好き。」って。
勿論相手は本気じゃないですけど(汗)冗談でも、人に好意的な事を言われて嫌な気持ちがする人は、1人も居ないですよね。
嬉しいと同時に、羨ましい気が致しました。
友達でも恋人でも、異性でも同性でもアイドルでも誰でも良いんです。
誰かを「好き。」って言えることが羨ましいです。
言葉にする以前に、まず感情がある筈ですよね。
何の興味も無い人には冗談半分でもそんな事言えません。
今のゆめには好きなことは有っても、興味の有る人、好きだと思える人が世界中に1人も居ません。
じゃあ、親類はどうなの?と聞かれるといささか心苦しいのですが、血縁とは又違った好意を言いたいのです。
誰か特定の人に愛情を注ぐ(何だかお恥ずかしい表現ですが。)ことが出来ないのなら、全てのものを愛せば良い。
クリスチャンみたいな事を言ってみましたが、これほど難しい事は有りません。
ですが、最近のゆめは悟りました。(謎。)
ゆめを愛してくれる人が居れば、ゆめも対等にその人を愛します。
只の独り善がりで、受け身な考えですが、詰まるところ、自分の気持ちはどうにもコントロールしがたい事なので、無理してまでどうにかしようとは思っていないです。
前に誰かが「私は誰からも必要とされていない。」と言って悩んでらっしゃいました。
ゆめもそうです。その問題についての悩みは尽きません。
ですが、誰から求められなくても‘生きる権利’だけはどんなものにも侵されないと思っています。
厚かましい考えかもしれませんが、自分の意志さえ有れば行き抜いた者勝ちだと、ゆめは思います。
なので、逆に開き直って逞しく生きたいです。
たまに、淋しくなったり、色々な矛盾を抱えていますけど…。
只、気侭に流されているだけの生き方でも、法には触れません。
革命は起こそうと思った時に起こせます。
皆それで宜しいかと存じます。
BY→屁理屈だらけのゆめでした。
最近はバイトやら学校の宿題やらで時間に全然余裕と言うものが御座いませんでした。泣
最近1番の困り事は、体重が鰻登りに急増してしまい、試着可能な衣類が尽きてしまったことです。
鏡に映る自らの制服姿が妙にころころとしていて、登校前の気分は更に憂鬱になります。泣
それは良いとして、最近お弁当フレンド(一緒にお弁当を食べさせてもらっている他クラスの内の1人)に彼氏が出来たとの話で持ち切りです。
気になるお相手は。。。のびた君。
眼鏡付きでもやしっこの小柄な彼。
成績優秀な文学少女にはお似合いと言うか、何と言うか…でも、傍目から見ればとても微笑ましいカップルです。
あ、今日告白まがいな事を言われました。女の子から。
「好みのタイプはゆめって言っても良い?私、ゆめの全てが好き。」って。
勿論相手は本気じゃないですけど(汗)冗談でも、人に好意的な事を言われて嫌な気持ちがする人は、1人も居ないですよね。
嬉しいと同時に、羨ましい気が致しました。
友達でも恋人でも、異性でも同性でもアイドルでも誰でも良いんです。
誰かを「好き。」って言えることが羨ましいです。
言葉にする以前に、まず感情がある筈ですよね。
何の興味も無い人には冗談半分でもそんな事言えません。
今のゆめには好きなことは有っても、興味の有る人、好きだと思える人が世界中に1人も居ません。
じゃあ、親類はどうなの?と聞かれるといささか心苦しいのですが、血縁とは又違った好意を言いたいのです。
誰か特定の人に愛情を注ぐ(何だかお恥ずかしい表現ですが。)ことが出来ないのなら、全てのものを愛せば良い。
クリスチャンみたいな事を言ってみましたが、これほど難しい事は有りません。
ですが、最近のゆめは悟りました。(謎。)
ゆめを愛してくれる人が居れば、ゆめも対等にその人を愛します。
只の独り善がりで、受け身な考えですが、詰まるところ、自分の気持ちはどうにもコントロールしがたい事なので、無理してまでどうにかしようとは思っていないです。
前に誰かが「私は誰からも必要とされていない。」と言って悩んでらっしゃいました。
ゆめもそうです。その問題についての悩みは尽きません。
ですが、誰から求められなくても‘生きる権利’だけはどんなものにも侵されないと思っています。
厚かましい考えかもしれませんが、自分の意志さえ有れば行き抜いた者勝ちだと、ゆめは思います。
なので、逆に開き直って逞しく生きたいです。
たまに、淋しくなったり、色々な矛盾を抱えていますけど…。
只、気侭に流されているだけの生き方でも、法には触れません。
革命は起こそうと思った時に起こせます。
皆それで宜しいかと存じます。
BY→屁理屈だらけのゆめでした。
千里眼を欲する。
2003年9月27日あなたは今、何が欲しいですか?
ゆめ自身、答えは腐るほどに持ち合わせています。
只、前々からずっと欲しいと思っていたもの。
‘千里眼’です。
辞書の言葉を引用すると「遠くの出来事や将来、人の心中などを見通せる力。」です。
千里眼って実在するのかどうかすら疑問なのですが…もし、実際にそれを持って生まれた人物が居たとしたら。
それは一種の超能力ですよね。
占い師でも何でも構わない訳ですが、未来を予知できる能力が有るとしたら。
危険から身を守ったり、どうにかしてその道から外れようとする処置を採れると言う点ではすごく魅力的だと思います。
でも「これはやっても無駄。」「後々損をする。」と分かってしまったり、嬉しい出来事も「予測済み。」の一言で喜びも減ってしまう。
つまり希望が無いですよね。
「分からないから面白い。」って言葉も有る訳ですし。
そう言う点では、ゆめはその手の能力は必要無いと思います。
ですが後の2つ。
「遠くのものを見通せる。」「他人の心を見透かせる。」これはすごいと思います。
前者は今、誰が何をしているのか(言葉に出すとストーカー予備軍になってしまいますが…)何処でどんな事件が起きているのか。
リアルタイムで情報が手に入るので、情勢に詳しくなりますよね。
ですが、重ゆめが本当に欲しいのは後者の‘人心透視能力’です。
これは便利な事極まり有りません。
良く「友達は自分で選ぶべきだ。」と言う方がいらっしゃいますが、自ら選んで自滅する間抜けなゆめのような人種にはどうしろとおっしゃるのでしょう。
周りから「あの人はやめた方が良いよ。」と忠告され「関係無いでしょう。」などとやけに反発して大事にしていた友達が、本当に良い友達の部類に入るかどうかは、いざの時になってみないと分かりませんよね。
これはゆめだけかも知れないですけど。汗
ゆめが好んで友達になってもらった人は、大抵はずれクジです。
(生きている人に向かって失礼な言い方ですが。。。)
「類は友を呼ぶ。」と言うのも十分素晴らしい表現ですが、自ら進んではずれを引きたがる人が居ると言うのも事実だと思うんです。
磁石のS極とN極みたいに自然に引っ張られて行く感じでしょうか。
その時は自分が今手にしているのが貧乏クジだなんて、微塵にも思わないんです。
でも、最後に残されるのは擦り切れた紙に、消えかかった「はずれ」の文字。
時、既に遅し。です。
貧乏クジ引きの学習能力は恐ろしく未発達で、又光り輝く貧乏クジに吸い寄せられて行くのです。。。
長々とおかしな話を致しましたが、人を見る目が無いと言うのは=潜在的本能がいわゆる‘良くない人’を捜し求めてしまうのだと思うんです。
始めの「類は友を呼ぶ」の教訓を持ち出しますが、自分が変われば貧乏クジもおのずと遠ざかっていくのでしょうか?
ゴミは蝿を呼ぶ。貧乏神は貧乏クジを引く。
今のゆめには難しい話なので、当分くじ引きは遠慮しておきます。。。
ゆめ自身、答えは腐るほどに持ち合わせています。
只、前々からずっと欲しいと思っていたもの。
‘千里眼’です。
辞書の言葉を引用すると「遠くの出来事や将来、人の心中などを見通せる力。」です。
千里眼って実在するのかどうかすら疑問なのですが…もし、実際にそれを持って生まれた人物が居たとしたら。
それは一種の超能力ですよね。
占い師でも何でも構わない訳ですが、未来を予知できる能力が有るとしたら。
危険から身を守ったり、どうにかしてその道から外れようとする処置を採れると言う点ではすごく魅力的だと思います。
でも「これはやっても無駄。」「後々損をする。」と分かってしまったり、嬉しい出来事も「予測済み。」の一言で喜びも減ってしまう。
つまり希望が無いですよね。
「分からないから面白い。」って言葉も有る訳ですし。
そう言う点では、ゆめはその手の能力は必要無いと思います。
ですが後の2つ。
「遠くのものを見通せる。」「他人の心を見透かせる。」これはすごいと思います。
前者は今、誰が何をしているのか(言葉に出すとストーカー予備軍になってしまいますが…)何処でどんな事件が起きているのか。
リアルタイムで情報が手に入るので、情勢に詳しくなりますよね。
ですが、重ゆめが本当に欲しいのは後者の‘人心透視能力’です。
これは便利な事極まり有りません。
良く「友達は自分で選ぶべきだ。」と言う方がいらっしゃいますが、自ら選んで自滅する間抜けなゆめのような人種にはどうしろとおっしゃるのでしょう。
周りから「あの人はやめた方が良いよ。」と忠告され「関係無いでしょう。」などとやけに反発して大事にしていた友達が、本当に良い友達の部類に入るかどうかは、いざの時になってみないと分かりませんよね。
これはゆめだけかも知れないですけど。汗
ゆめが好んで友達になってもらった人は、大抵はずれクジです。
(生きている人に向かって失礼な言い方ですが。。。)
「類は友を呼ぶ。」と言うのも十分素晴らしい表現ですが、自ら進んではずれを引きたがる人が居ると言うのも事実だと思うんです。
磁石のS極とN極みたいに自然に引っ張られて行く感じでしょうか。
その時は自分が今手にしているのが貧乏クジだなんて、微塵にも思わないんです。
でも、最後に残されるのは擦り切れた紙に、消えかかった「はずれ」の文字。
時、既に遅し。です。
貧乏クジ引きの学習能力は恐ろしく未発達で、又光り輝く貧乏クジに吸い寄せられて行くのです。。。
長々とおかしな話を致しましたが、人を見る目が無いと言うのは=潜在的本能がいわゆる‘良くない人’を捜し求めてしまうのだと思うんです。
始めの「類は友を呼ぶ」の教訓を持ち出しますが、自分が変われば貧乏クジもおのずと遠ざかっていくのでしょうか?
ゴミは蝿を呼ぶ。貧乏神は貧乏クジを引く。
今のゆめには難しい話なので、当分くじ引きは遠慮しておきます。。。
マニュアル通りの生き方。
2003年9月26日今回は酷く卑屈な日記になってしまうと思います。
それをご了承の上、ご覧下さいね。
ゆめは劣等感…コンプレックスの塊です。
時々、自分が酷く哀れで、どうしようもない人間に思えてならないのです。
子供の頃から「ゆめは賢い。」と周りから言われて来ました。
何の根拠も無いのに、です。
物心ついた頃には暗示を掛けられたかのように、自分は有能な人間なのだと、ずっと信じ続けていました。
大きくなるにつれて、ゆめの馬鹿さ加減が表向きになり始めると、皆の期待の眼差しは何か冷たいものへと変わり「期待外れの大馬鹿者。」と次第
に嘆かれるようになりました。
又、ゆめは学校の成績だけはまぁ優秀です。
そこでも「頭が良い。」「秀才。」沢山の素晴らしい言葉が投げ掛けられます。
でも、ゆめはちっとも嬉しくありません。
むしろ、その言葉で更に落ち込んで行きます。
勉強が出来ても、賢い人とは限りません。
むしろ、勉強は出来なくても皆から重宝がられて、どんな場所にでも適応出来るような協調性を兼ね備えた人の方が何十倍も優秀だと思います。
部活で笑いながら汗を流している人の方が素敵だと思います。
何より、毎日が充実していて、幸せな人が羨ましいと思います。
勉強が出来る=頭が良い。
全然違います。
ゆめ自身の存在でその方程式を証明出来ます。
やることがなくて、何にも取り柄のないゆめが、たった1つ、まともに自己主張の出来る場。
それが学校のテストと言うだけです。
学問から得る知識は素晴らしいものです。
でも、1番大切な事が欠けていては、何の自慢にもなり得ません。
周りがゆめを馬鹿だと言う理由は、そこにあるのです。
数学の勉強法の本は何処にでも在ります。
でも、自分の在り方はどうやって学べば良いのでしょうか。
人を真似ても似ても似つかず、師を求めても行き付く先はなく。
このままではいけないって思ってはいますけど、今更どうすれば良いと言うのでしょうか。
考えても考えても、慰めの言葉すら見つからなくて、もう一生このままだと言う絶望感だけがゆめを襲います。
「模範が無ければ何も出来ない。」
ゆめが言われて傷付いた言葉です。
傷付いた…気付いたと申し上げた方が語弊が無いでしょうか。
自分を導いてくれる道標を捜し求め続けている限り、ゆめの行き先に光は差さないのでしょうか?
それをご了承の上、ご覧下さいね。
ゆめは劣等感…コンプレックスの塊です。
時々、自分が酷く哀れで、どうしようもない人間に思えてならないのです。
子供の頃から「ゆめは賢い。」と周りから言われて来ました。
何の根拠も無いのに、です。
物心ついた頃には暗示を掛けられたかのように、自分は有能な人間なのだと、ずっと信じ続けていました。
大きくなるにつれて、ゆめの馬鹿さ加減が表向きになり始めると、皆の期待の眼差しは何か冷たいものへと変わり「期待外れの大馬鹿者。」と次第
に嘆かれるようになりました。
又、ゆめは学校の成績だけはまぁ優秀です。
そこでも「頭が良い。」「秀才。」沢山の素晴らしい言葉が投げ掛けられます。
でも、ゆめはちっとも嬉しくありません。
むしろ、その言葉で更に落ち込んで行きます。
勉強が出来ても、賢い人とは限りません。
むしろ、勉強は出来なくても皆から重宝がられて、どんな場所にでも適応出来るような協調性を兼ね備えた人の方が何十倍も優秀だと思います。
部活で笑いながら汗を流している人の方が素敵だと思います。
何より、毎日が充実していて、幸せな人が羨ましいと思います。
勉強が出来る=頭が良い。
全然違います。
ゆめ自身の存在でその方程式を証明出来ます。
やることがなくて、何にも取り柄のないゆめが、たった1つ、まともに自己主張の出来る場。
それが学校のテストと言うだけです。
学問から得る知識は素晴らしいものです。
でも、1番大切な事が欠けていては、何の自慢にもなり得ません。
周りがゆめを馬鹿だと言う理由は、そこにあるのです。
数学の勉強法の本は何処にでも在ります。
でも、自分の在り方はどうやって学べば良いのでしょうか。
人を真似ても似ても似つかず、師を求めても行き付く先はなく。
このままではいけないって思ってはいますけど、今更どうすれば良いと言うのでしょうか。
考えても考えても、慰めの言葉すら見つからなくて、もう一生このままだと言う絶望感だけがゆめを襲います。
「模範が無ければ何も出来ない。」
ゆめが言われて傷付いた言葉です。
傷付いた…気付いたと申し上げた方が語弊が無いでしょうか。
自分を導いてくれる道標を捜し求め続けている限り、ゆめの行き先に光は差さないのでしょうか?
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過保護の国のお嬢様。
2003年9月23日昨日のゆめの日記を読んで下さった方々、本当にごめんなさい!
今日は真面目に書きたく存じます。
秋分の日ですね。
やる事が溜まっていて、お外には遊びに行けそうもありません。
しかも今週は5日間バイトバイトなので、泣くに泣けない状態です。
昨日の日記にも書きました通り、ゆめはバイト先でお小言を頂戴してばかりなんです。
この前なんて、お客様にまで「働く資格無い」とか言われちゃったり。。。
魚の種類が判らなかっただけです。
うちはお魚屋じゃないですし…(精一杯の言い訳。)
これにはショックを受けました。
世間の風当たりは冷たいって改めて実感致しました。
最も、自分の不甲斐なさが招いた結果ですが。。。
実は、ゆめは過保護の家庭に育ったんです。
あ、金持ちの家の令嬢とか、そんなものとは丸っきりご縁の無い、中流家庭です。
でも、小さい頃から欲しいものは何でも与えられて、自分がやるべき事まで誰かにやってもらって、のこのこ、ここまで成長して参りました。
お陰で一般常識を知らず、自分1人では何も出来ないような大人子供的な人格を造り上げてしまったのです。
では、最も酷かった時のゆめ宅の過保護ぶりを紹介したいと思います。
朝起きて、朝食が用意されています。
食べ終えて、洗面所に行くと、歯ブラシと洗面器にお湯が用意されています。
全ての支度を終えて、ランドセルを取りに行きます。
中身を見ると、独りでに今日の時間割がきっちり揃っていて、今日の持ち物の1つであるソプラノリコーダーが端っこに刺さっています。
そして家を出ようとすると、祖母の声で「今日の蟹座は9位で、人の口車に乗らないように、だって。」
TVの星座占いの結果が報告されます。
学校から帰宅します。
今日着る為の洋服がハンガーに吊るされており、籠の中には両手いっぱいのお菓子の山。
食べっぱなし散らかしっぱなしで‘お母さんと一緒’の時間が始まります。
夕食後、TVに気を取られていると、食べた後の食器は既に台所へと姿を消していました。
興味本位でお皿洗いをしたいと要望すると、
「手が荒れるから駄目。」
断られます。
夜8時。
「お風呂に入ってきなさい。」
着替えとタオル2枚、真新しいシャンプー,リンスが手渡されます。
夜10時。
宿題やっておいたわ。と明日提出する予定の算数の問題集の答えと解法がぎっしりと書かれたノートが手元に届きます。
それを、適当に写して、就寝。
当時は、本当にこんな毎日でした。
こんな事、お話するのもお恥ずかしい限りなのですが、初めに「ありのままの自分」とお約束致しましたので、それに従おうと思い、醜態を曝しております。
今では自分の親にまで「大きくなって何も出来ない大馬鹿者。」と罵られておりますが、その原因は親子共々有るだろうと思います。
ある程度大きくなったところでようやく危機感を感じて、自分の事は成る丈自分でやる、を心掛けるようになりましたが、未だに人並みの事が満足に出来なかったりもします。
大人になって後悔するのは本当に自分自身です。
人任せにしないで、自分で何でも出来るような大人になりましょう。なりたいです。。。
BY→自分の情けなさを今頃になって思い知らされているゆめでした。
今日は真面目に書きたく存じます。
秋分の日ですね。
やる事が溜まっていて、お外には遊びに行けそうもありません。
しかも今週は5日間バイトバイトなので、泣くに泣けない状態です。
昨日の日記にも書きました通り、ゆめはバイト先でお小言を頂戴してばかりなんです。
この前なんて、お客様にまで「働く資格無い」とか言われちゃったり。。。
魚の種類が判らなかっただけです。
うちはお魚屋じゃないですし…(精一杯の言い訳。)
これにはショックを受けました。
世間の風当たりは冷たいって改めて実感致しました。
最も、自分の不甲斐なさが招いた結果ですが。。。
実は、ゆめは過保護の家庭に育ったんです。
あ、金持ちの家の令嬢とか、そんなものとは丸っきりご縁の無い、中流家庭です。
でも、小さい頃から欲しいものは何でも与えられて、自分がやるべき事まで誰かにやってもらって、のこのこ、ここまで成長して参りました。
お陰で一般常識を知らず、自分1人では何も出来ないような大人子供的な人格を造り上げてしまったのです。
では、最も酷かった時のゆめ宅の過保護ぶりを紹介したいと思います。
朝起きて、朝食が用意されています。
食べ終えて、洗面所に行くと、歯ブラシと洗面器にお湯が用意されています。
全ての支度を終えて、ランドセルを取りに行きます。
中身を見ると、独りでに今日の時間割がきっちり揃っていて、今日の持ち物の1つであるソプラノリコーダーが端っこに刺さっています。
そして家を出ようとすると、祖母の声で「今日の蟹座は9位で、人の口車に乗らないように、だって。」
TVの星座占いの結果が報告されます。
学校から帰宅します。
今日着る為の洋服がハンガーに吊るされており、籠の中には両手いっぱいのお菓子の山。
食べっぱなし散らかしっぱなしで‘お母さんと一緒’の時間が始まります。
夕食後、TVに気を取られていると、食べた後の食器は既に台所へと姿を消していました。
興味本位でお皿洗いをしたいと要望すると、
「手が荒れるから駄目。」
断られます。
夜8時。
「お風呂に入ってきなさい。」
着替えとタオル2枚、真新しいシャンプー,リンスが手渡されます。
夜10時。
宿題やっておいたわ。と明日提出する予定の算数の問題集の答えと解法がぎっしりと書かれたノートが手元に届きます。
それを、適当に写して、就寝。
当時は、本当にこんな毎日でした。
こんな事、お話するのもお恥ずかしい限りなのですが、初めに「ありのままの自分」とお約束致しましたので、それに従おうと思い、醜態を曝しております。
今では自分の親にまで「大きくなって何も出来ない大馬鹿者。」と罵られておりますが、その原因は親子共々有るだろうと思います。
ある程度大きくなったところでようやく危機感を感じて、自分の事は成る丈自分でやる、を心掛けるようになりましたが、未だに人並みの事が満足に出来なかったりもします。
大人になって後悔するのは本当に自分自身です。
人任せにしないで、自分で何でも出来るような大人になりましょう。なりたいです。。。
BY→自分の情けなさを今頃になって思い知らされているゆめでした。
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指名恐怖症。(やる気ゼロ)
2003年9月22日今日は何故かゆめの名前が多発していました。
1時間目の英語。(リスニング)
教師A「問4の答えを…ゆめさん。(勿論仮名です)」
ゆめ「聞き取れませんでした。」
3時間目の家庭科。
教師B「じゃあ、ゆめさん。ここの問題の答えは?」
ゆめ「わかりません。」
5時間目の国語。
教師C「ゆめさん。前に出て問題解いて。」
ゆめ「解けません。」
6時間目の学活。
担任T「じゃあ、号令〜。」
ゆめ「…(机に堂々と肘を着いている)」
体育教師T「ゆめ!なんだその態度は?!(マジ切れ気味)」
ぶち壊すかのような勢いで机を叩き付ける熱血体育教師T。
バイト先。
チーフ「(遠くから)ゆめさん!」
ゆめ「はい?」
チーフ「さっき、お客さんから苦情が来てね、なんたらかんたら…」
ゆめ「ごめんなさい。(延々と平謝り。)」
…もう、誰も私の名前を呼ばないで下さい。
ゆめは人から名前を呼ばれる事が少ないです。
親はゆめを名指しでは呼びません。
「おい。」「お前」「なぁ。」
こんなの普通じゃないですよね。
最近やっと気が付きました。
何はともあれ、ゆめの名前が挙がる時は、大抵悪い知らせばかりです。
指名される度に、心臓が跳ね上がりそうになる今日この頃です。
今日は疲れているので…こんな馬鹿げた話だけで良いですよね?駄目ですか?ごめんなさい。。。
BY→すっかり自分を見失ってしまった、ゆめでした。
1時間目の英語。(リスニング)
教師A「問4の答えを…ゆめさん。(勿論仮名です)」
ゆめ「聞き取れませんでした。」
3時間目の家庭科。
教師B「じゃあ、ゆめさん。ここの問題の答えは?」
ゆめ「わかりません。」
5時間目の国語。
教師C「ゆめさん。前に出て問題解いて。」
ゆめ「解けません。」
6時間目の学活。
担任T「じゃあ、号令〜。」
ゆめ「…(机に堂々と肘を着いている)」
体育教師T「ゆめ!なんだその態度は?!(マジ切れ気味)」
ぶち壊すかのような勢いで机を叩き付ける熱血体育教師T。
バイト先。
チーフ「(遠くから)ゆめさん!」
ゆめ「はい?」
チーフ「さっき、お客さんから苦情が来てね、なんたらかんたら…」
ゆめ「ごめんなさい。(延々と平謝り。)」
…もう、誰も私の名前を呼ばないで下さい。
ゆめは人から名前を呼ばれる事が少ないです。
親はゆめを名指しでは呼びません。
「おい。」「お前」「なぁ。」
こんなの普通じゃないですよね。
最近やっと気が付きました。
何はともあれ、ゆめの名前が挙がる時は、大抵悪い知らせばかりです。
指名される度に、心臓が跳ね上がりそうになる今日この頃です。
今日は疲れているので…こんな馬鹿げた話だけで良いですよね?駄目ですか?ごめんなさい。。。
BY→すっかり自分を見失ってしまった、ゆめでした。
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所詮、馬鹿は馬鹿でしかない。
2003年9月19日今学校から帰って来ました。
ところで、このタイトルは何だろう。。。と思われた方もいらっしゃるかも知れません。
これは、たった今、ゆめが親から言われた言葉です。
帰宅して早々「テスト見せて」の一言。
実は夏休み明けの課題テストが、今更になって返って来たんです。
結果は最悪でした。
夏休み中に遊び呆けて、勉強とは全く無縁の生活を送っていたのが祟ったみたいです。
点数は公表出来ませんが、通常より20点ほど落ちた、と考えてくだされば結構です。
うちの家系は、皆、勉強が比較的得意らしく(東大も出ています)ゆめはいわゆる落ちこぼれ組です。
何か有る度に従兄弟や母親と比較されて、もう本当懲り懲りです。
ゆめの親は頭ごなしに叱り付けるタイプでは無くて、一言二言グサっと来る台詞を吐き付けて来るんです。
「あんたみたいな馬鹿は生きてる価値無い。」
「社会に出たら通用しない。今の内に死んでおけば?」
などなど。
こんな事言ってても、本当は性格の悪い人じゃないんです。
これは一緒に居るゆめが良く分かっています。
でも、やっぱり傷付く時は傷付きます。
前にもお話した通り、ゆめはプレッシャーに弱いです。
高校受験の時も、親戚一同から「あの程度のレベルなら余裕だろう」って口々に言われて、受験ノイローゼ気味になりました。
受験ノイローゼ。この心境が解る方いらっしゃるでしょうか?
何処に居ても、何をしていても苛々して、(1、2度本気で発狂しました。)焦りと不安で鬱状態。
勿論、結果的に桜は咲きませんでした。。。
落ちた後は親に泣かれ、親戚達の哀れんでいそうで何処か嬉しそうな嘆き。
あの時はつらかったです。本当に。
でも、ゆめには勉強くらいしか人並みにこなせるものが有りませんので、もっと努力して、一度くらいは学年トップ取らなきゃ、なんて…。
努力って必ずしや実を結ぶとは限らないんですよね。
只‘無駄な事は何も無い’と言う言葉を信じて、日々前進して行きたいと思います!
ところで、このタイトルは何だろう。。。と思われた方もいらっしゃるかも知れません。
これは、たった今、ゆめが親から言われた言葉です。
帰宅して早々「テスト見せて」の一言。
実は夏休み明けの課題テストが、今更になって返って来たんです。
結果は最悪でした。
夏休み中に遊び呆けて、勉強とは全く無縁の生活を送っていたのが祟ったみたいです。
点数は公表出来ませんが、通常より20点ほど落ちた、と考えてくだされば結構です。
うちの家系は、皆、勉強が比較的得意らしく(東大も出ています)ゆめはいわゆる落ちこぼれ組です。
何か有る度に従兄弟や母親と比較されて、もう本当懲り懲りです。
ゆめの親は頭ごなしに叱り付けるタイプでは無くて、一言二言グサっと来る台詞を吐き付けて来るんです。
「あんたみたいな馬鹿は生きてる価値無い。」
「社会に出たら通用しない。今の内に死んでおけば?」
などなど。
こんな事言ってても、本当は性格の悪い人じゃないんです。
これは一緒に居るゆめが良く分かっています。
でも、やっぱり傷付く時は傷付きます。
前にもお話した通り、ゆめはプレッシャーに弱いです。
高校受験の時も、親戚一同から「あの程度のレベルなら余裕だろう」って口々に言われて、受験ノイローゼ気味になりました。
受験ノイローゼ。この心境が解る方いらっしゃるでしょうか?
何処に居ても、何をしていても苛々して、(1、2度本気で発狂しました。)焦りと不安で鬱状態。
勿論、結果的に桜は咲きませんでした。。。
落ちた後は親に泣かれ、親戚達の哀れんでいそうで何処か嬉しそうな嘆き。
あの時はつらかったです。本当に。
でも、ゆめには勉強くらいしか人並みにこなせるものが有りませんので、もっと努力して、一度くらいは学年トップ取らなきゃ、なんて…。
努力って必ずしや実を結ぶとは限らないんですよね。
只‘無駄な事は何も無い’と言う言葉を信じて、日々前進して行きたいと思います!
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果たされない約束。
2003年9月18日なんて大それたタイトルを書いてしまいましたが。。。
そんな大した事じゃないですよ。
馬鹿過ぎるので、深い意味はお話しませんが、ゆめはもう、何ヶ月も前からある人と約束している事が有って、その前日とかになると決まってダメになるんですね。
今日もその日だったんですけど…忙しいみたいで。
相手の都合を思えば「じゃあ、又今度ね」って笑って許してあげられる筈なのに、聞いた途端すごい悲しくなって、その内行き場の無い憎しみって言うか怒りみたいなものに変わるんです。
それで今日は「もう良いよ」って怒って電話を切りました。
今の気持ちは勿論「謝るべきだよね」なんですけど、心の何処かでは「あっちが悪いんだよ」って逆に反発する自分が居て。
そんなこんなですごく憂鬱です。
ゆめは心の狭い人間です。
周りからも良く言われるんですけど、思いやりとか包容力に欠けるって。
でも、全てに対して否定的であるが為に「周りは私に何の労わりの情も示さないくせに」とかって反抗心を燃やしてしまいます。
包容力に欠ける、って所は確かに頷けます。
でも、ゆめの行動の前提には常に‘人を傷付けないように’と言うのが在ります。
神経が恐ろしく細かいものですので、これを言ったら悲しむだろうな、こんな事したら傷付くだろうなって、人一倍過敏に考えてしまいます。
それが良い場合も有るのでしょうけど、反面、人の粗が見つかりやすかったりもするんですね。
神経質になり過ぎない。
そう言われても生まれ持ったこの性質、簡単には直せません。
あなたがこの日記を見ていないことは分かっていますが。
何も考えていなさそうで、心の中では色々な葛藤を抱えていたりするのです。
人の気持ちも、自分なりに考えているつもりです。
どうか非情などと言わないで下さい。
私信失礼致しました。
日記を書いたら少し気分が晴れました!
大人になれば、多少は自分の気持ちの制御が出来るようになるでしょうか?
他の点では、我慢出来るのになぁ。。。
いつか聞いた言葉。
「人の気持ちは簡単に変わってしまうものだから
僕は約束なんてしない。」
って。引用してごめんね。又遊ぼう。
妙に私信が多かったゆめでした。
そんな大した事じゃないですよ。
馬鹿過ぎるので、深い意味はお話しませんが、ゆめはもう、何ヶ月も前からある人と約束している事が有って、その前日とかになると決まってダメになるんですね。
今日もその日だったんですけど…忙しいみたいで。
相手の都合を思えば「じゃあ、又今度ね」って笑って許してあげられる筈なのに、聞いた途端すごい悲しくなって、その内行き場の無い憎しみって言うか怒りみたいなものに変わるんです。
それで今日は「もう良いよ」って怒って電話を切りました。
今の気持ちは勿論「謝るべきだよね」なんですけど、心の何処かでは「あっちが悪いんだよ」って逆に反発する自分が居て。
そんなこんなですごく憂鬱です。
ゆめは心の狭い人間です。
周りからも良く言われるんですけど、思いやりとか包容力に欠けるって。
でも、全てに対して否定的であるが為に「周りは私に何の労わりの情も示さないくせに」とかって反抗心を燃やしてしまいます。
包容力に欠ける、って所は確かに頷けます。
でも、ゆめの行動の前提には常に‘人を傷付けないように’と言うのが在ります。
神経が恐ろしく細かいものですので、これを言ったら悲しむだろうな、こんな事したら傷付くだろうなって、人一倍過敏に考えてしまいます。
それが良い場合も有るのでしょうけど、反面、人の粗が見つかりやすかったりもするんですね。
神経質になり過ぎない。
そう言われても生まれ持ったこの性質、簡単には直せません。
あなたがこの日記を見ていないことは分かっていますが。
何も考えていなさそうで、心の中では色々な葛藤を抱えていたりするのです。
人の気持ちも、自分なりに考えているつもりです。
どうか非情などと言わないで下さい。
私信失礼致しました。
日記を書いたら少し気分が晴れました!
大人になれば、多少は自分の気持ちの制御が出来るようになるでしょうか?
他の点では、我慢出来るのになぁ。。。
いつか聞いた言葉。
「人の気持ちは簡単に変わってしまうものだから
僕は約束なんてしない。」
って。引用してごめんね。又遊ぼう。
妙に私信が多かったゆめでした。
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逢いたい人に逢う事も無い。
2003年9月17日これはゆめの敬愛する椎名林檎さんの曲【月に負け犬】の歌詞の一部です。
とても綺麗な言葉だと思うんですね。
「逢いたい人に逢えない」って言い切るのではなくて、何処かで半分諦めている様で、半分淋しげな印象がして。
ゆめには逢いたいと思う人なんて居ないから…確かに、久しぶりに誰かに連絡取ってみようかな、なんて思い立つ時は有りますけど。
結局その‘誰か’が浮かばないまま日が暮れちゃうんですよね。
ところで、ある人が「ネガティブな人は嫌いだ」と言っていたのがずっと心に残っています。
まぁ「私はマイナス思考の人が好きです」なんて言う人も珍しいですけどね。
ゆめはネガティブの代名詞みたいな人間です。
悩んでる時は余計その嫌な事について考えて、より暗い気持ちになっていったり。
わざわざ自分を追いこむような事しなくて良いんじゃないか、って一段落着いた時に思いますけど。
正直、そうやって不幸に酔いしれてる部分って有ります。
勿論誰だって楽しい事を考えてる時の方が満たされた気持ちになるのは当然です。
だけど、辛い気分を味わいながらも何処かで其れを満喫しているような。
並大抵の方が聞いたら不気味に感じられるかも知れませんが。
うん、でも例えば詞を書く時なんかに、その瞬間に本当に感じた想いをその場その場で書いて行く方が絶対に、より深く、美しい詞が完成すると言うのは誰も否定出来ない事ですよね。
気持ちが篭るって言うのでしょうか。
恐ろしく想像力豊かな人ならそんなの必要ないんでしょうけれども。
とにかく、落ち込んでいる時に何気なく見たものが普段にも増して美しいものに見えたり、いつもと違う見方が出来るようになったり。
なので、故意に悲劇のヒロインを演じるのも悪い事ではないと思うのです。
あ、勿論「何で私の事を理解してくれないのよ」って他人に救いを求めて巻き添えにするのは、ちょっと厳しいですけど。
飽くまで、他人に迷惑を掛け過ぎない不幸の味わい方、と言うのが前提に在る場合のみです。
「ネガティブな人は嫌い」
別に個人の趣味ですから構いませんけど。
では、あなたと私は合いませんね、としか言い様が有りません。今のところは。
と言うかポジティブな考えの持ち主なら、そう言う人の嫌な所見て悪口言ったりしないで下さい。
勝手な言い分失礼致しました。
とても綺麗な言葉だと思うんですね。
「逢いたい人に逢えない」って言い切るのではなくて、何処かで半分諦めている様で、半分淋しげな印象がして。
ゆめには逢いたいと思う人なんて居ないから…確かに、久しぶりに誰かに連絡取ってみようかな、なんて思い立つ時は有りますけど。
結局その‘誰か’が浮かばないまま日が暮れちゃうんですよね。
ところで、ある人が「ネガティブな人は嫌いだ」と言っていたのがずっと心に残っています。
まぁ「私はマイナス思考の人が好きです」なんて言う人も珍しいですけどね。
ゆめはネガティブの代名詞みたいな人間です。
悩んでる時は余計その嫌な事について考えて、より暗い気持ちになっていったり。
わざわざ自分を追いこむような事しなくて良いんじゃないか、って一段落着いた時に思いますけど。
正直、そうやって不幸に酔いしれてる部分って有ります。
勿論誰だって楽しい事を考えてる時の方が満たされた気持ちになるのは当然です。
だけど、辛い気分を味わいながらも何処かで其れを満喫しているような。
並大抵の方が聞いたら不気味に感じられるかも知れませんが。
うん、でも例えば詞を書く時なんかに、その瞬間に本当に感じた想いをその場その場で書いて行く方が絶対に、より深く、美しい詞が完成すると言うのは誰も否定出来ない事ですよね。
気持ちが篭るって言うのでしょうか。
恐ろしく想像力豊かな人ならそんなの必要ないんでしょうけれども。
とにかく、落ち込んでいる時に何気なく見たものが普段にも増して美しいものに見えたり、いつもと違う見方が出来るようになったり。
なので、故意に悲劇のヒロインを演じるのも悪い事ではないと思うのです。
あ、勿論「何で私の事を理解してくれないのよ」って他人に救いを求めて巻き添えにするのは、ちょっと厳しいですけど。
飽くまで、他人に迷惑を掛け過ぎない不幸の味わい方、と言うのが前提に在る場合のみです。
「ネガティブな人は嫌い」
別に個人の趣味ですから構いませんけど。
では、あなたと私は合いませんね、としか言い様が有りません。今のところは。
と言うかポジティブな考えの持ち主なら、そう言う人の嫌な所見て悪口言ったりしないで下さい。
勝手な言い分失礼致しました。
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本日は晴天なり。
2003年9月16日気分は最高。体調良好。
今日みたいに、時間に追われる事も無く、普段の生活での憂いを感じずに居られる数少ない休日は、ゆめにとって最高の精神安定剤です。
ところで、この日記をご覧になっている皆様の中には「ゆめは精神障害者なのでは無いか」と感じている方がいらっしゃるかも知れません。
幸い、ゆめは精神科の先生のお世話になった事は有りません。
ただし、神経症と呼ばれるものに、悩まされていた経験は有ります。
神経症とは言っても、ゆめの症状ははまだまだ軽いものでした。
正式な名前を挙げるならば‘対人恐怖症’と呼ばれるものでしょうか。
それは、中学生当時が最もピークでした。
ゆめは元から、活発で積極的な性格ではないのですが、特別大人しくて人と接するのが苦手な内気な子、と言うにも語弊が有りました。
基本的には、何処にでも居る目立たないタイプの普通の子です。
しかし、いつからか人と話したりする時に、訳も無く顔や声が震えたり、目を合わせて話す事が苦痛に感じられるようになって来ました。
当時は理由が解らずにただただ慌てるばかりで、極力、人と関わるのを避けたり、自分の小心な性格のせいにして性格改善に勤めていたりしましたが、最近になって、それが対人恐怖の症状だと言う事を知りました。
現在ではその症状は全くと言って良い程、表れなくなりました。
でも、その時の名残からか、人と接しているよりも1人で居る事の方が非常に楽に感じられます。
後もう1つ、過呼吸で悩んでいた時期も有りました。
これは急かされたり、プレッシャーを感じると出るものなのですが、以前のゆめの担任の先生から
「そんなものになるのは心が弱いからだ」
と言われました。
確かに、生まれ持った強い精神の持ち主なら、そんなちっぽけな事で悩む事は無いでしょう。
でも、どうして自分がこんなに弱いのか、どうしたら強くなれるのか、解らないからこんなに苦しいのに。
「教師ならその答えを教えてくれよ。」
思わず悪態をつきそうになりましたが、先生とて人の子なので、万能ではないですしね。
多分、この答えを見つける事は、ゆめの一生のテーマになるかも知れないです。
むしろ、一生掛けても見つからないかも知れない。
傷付いて、立ち止まって、休んで、又歩き出す。
こうして終わりまで自分は生きていくんだな、と漠然と考えてみたりする、暑い夏の終焉でした。
今日みたいに、時間に追われる事も無く、普段の生活での憂いを感じずに居られる数少ない休日は、ゆめにとって最高の精神安定剤です。
ところで、この日記をご覧になっている皆様の中には「ゆめは精神障害者なのでは無いか」と感じている方がいらっしゃるかも知れません。
幸い、ゆめは精神科の先生のお世話になった事は有りません。
ただし、神経症と呼ばれるものに、悩まされていた経験は有ります。
神経症とは言っても、ゆめの症状ははまだまだ軽いものでした。
正式な名前を挙げるならば‘対人恐怖症’と呼ばれるものでしょうか。
それは、中学生当時が最もピークでした。
ゆめは元から、活発で積極的な性格ではないのですが、特別大人しくて人と接するのが苦手な内気な子、と言うにも語弊が有りました。
基本的には、何処にでも居る目立たないタイプの普通の子です。
しかし、いつからか人と話したりする時に、訳も無く顔や声が震えたり、目を合わせて話す事が苦痛に感じられるようになって来ました。
当時は理由が解らずにただただ慌てるばかりで、極力、人と関わるのを避けたり、自分の小心な性格のせいにして性格改善に勤めていたりしましたが、最近になって、それが対人恐怖の症状だと言う事を知りました。
現在ではその症状は全くと言って良い程、表れなくなりました。
でも、その時の名残からか、人と接しているよりも1人で居る事の方が非常に楽に感じられます。
後もう1つ、過呼吸で悩んでいた時期も有りました。
これは急かされたり、プレッシャーを感じると出るものなのですが、以前のゆめの担任の先生から
「そんなものになるのは心が弱いからだ」
と言われました。
確かに、生まれ持った強い精神の持ち主なら、そんなちっぽけな事で悩む事は無いでしょう。
でも、どうして自分がこんなに弱いのか、どうしたら強くなれるのか、解らないからこんなに苦しいのに。
「教師ならその答えを教えてくれよ。」
思わず悪態をつきそうになりましたが、先生とて人の子なので、万能ではないですしね。
多分、この答えを見つける事は、ゆめの一生のテーマになるかも知れないです。
むしろ、一生掛けても見つからないかも知れない。
傷付いて、立ち止まって、休んで、又歩き出す。
こうして終わりまで自分は生きていくんだな、と漠然と考えてみたりする、暑い夏の終焉でした。
交換条件。
2003年9月13日暦の上では秋だというのに、殺人的な暑さです。
今日はゆめの高校の文化祭でした。
うちのクラスは比較的訪問客が少なかったので、幾分暇を持て余していましたが…
ゆめにとって全ての行事はただ煩わしいものでしかないので、元々申し訳程度のやる気でさえ持ち合わせていなかったのですが、思っていたより悪くなかった気も致します。
もっとも、まだもう1日残っていますが。。。
今回の話は前回の親友についての話と多少関連が有るかも知れないです。
今日は文化祭に中1の頃と中2の頃、それぞれ最も仲の良かった友達がやって来ました。
元々2人は何の面識の無い間柄だったのですが、ゆめが2人を惹き合わせた途端、意気投合してゆめ以上に仲の良い友達同士になってしまった、と言うゆめ的お決まりのパターンでした。
正直、最初はすごく後悔して、あまりの仲の良さに心の中で嫉妬の炎をメラメラと燃やしていたりしました。(自分で言うのも何ですが、すごい表現…)
が、最近のゆめは他人に対してその手の感情が起こりにくくなりました。
「これはゆめの心が広くなったから?
大人になったという意味??」
暫し考えてみましたが、結論としては他人に興味が無くなったのでしょうね、きっと。
ゆめが今までに出会ってきた人の中にも様々なタイプの人が居ました。
嫉妬深い方で、それを正直に表現するタイプとポーカーフェイスで隠し通すタイプ、反対に嫉妬なんて微塵にも感じた事が無いと言う人。
嫉妬とは男女間でのみ存在するものかと思いきや、実はそうではないんですよね。
余談ですが、今のクラスメートにも居る、自分の好んでいる人に近寄って来る者に対して排他的な人。
守られてる方は良いでしょうが、排除されようとしている方としては大迷惑ですよね。私とか(汗)
話が少々ズレましたが、愛情深い人は大抵が焼き餅焼きだと思います。
勿論一概にそうだとは言いきれないのですが。
とにかく、人に期待したり、特別な人として認識すると、必然的にそう言う感情って生まれて来るものだと思うんです。
今の私のようにそれらを一切立ち切ると、ものの見事に消えて無くなります。
それが本当に良いのかどうかは人によって意見が分かれて行くところでしょうね。
でも、ゆめとしては、気持ちに余裕が出来たと言う錯覚みたいなものを覚えて、気分が非常に楽になりました。
ゆめ自身、昔から物事に固執しない、さっぱりした人間になりたいと願っておりましたので、この心境の変化は「喜び」の一言に尽きます。
でも、嫉妬される側のポジションは悪い気は全く致しません。
愛される喜びと言うか…(そんな事、感じた日は以前に有ったでしょうか?)
とにかく、なりたい自分に変わる事は可能なんだ、と改めて実感しました。
でも、変わる事によって同時に失うものが出てくるのは当然の結果なのですね。
他人に興味を見出せなくなったのは、その人を失う時の辛さから自分を守る為。
言わば防衛反応なので、純粋に人を愛する事は、今のゆめにはまず出来ない事です。
無難な立場を未だ取り続けているゆめは、本当にこれで良かったのでしょうか?
P.S 知る人ぞ知る、謎の試し書き。。。
疑問に思った方、ごめんなさい、気にしないで下さいね。
今日はゆめの高校の文化祭でした。
うちのクラスは比較的訪問客が少なかったので、幾分暇を持て余していましたが…
ゆめにとって全ての行事はただ煩わしいものでしかないので、元々申し訳程度のやる気でさえ持ち合わせていなかったのですが、思っていたより悪くなかった気も致します。
もっとも、まだもう1日残っていますが。。。
今回の話は前回の親友についての話と多少関連が有るかも知れないです。
今日は文化祭に中1の頃と中2の頃、それぞれ最も仲の良かった友達がやって来ました。
元々2人は何の面識の無い間柄だったのですが、ゆめが2人を惹き合わせた途端、意気投合してゆめ以上に仲の良い友達同士になってしまった、と言うゆめ的お決まりのパターンでした。
正直、最初はすごく後悔して、あまりの仲の良さに心の中で嫉妬の炎をメラメラと燃やしていたりしました。(自分で言うのも何ですが、すごい表現…)
が、最近のゆめは他人に対してその手の感情が起こりにくくなりました。
「これはゆめの心が広くなったから?
大人になったという意味??」
暫し考えてみましたが、結論としては他人に興味が無くなったのでしょうね、きっと。
ゆめが今までに出会ってきた人の中にも様々なタイプの人が居ました。
嫉妬深い方で、それを正直に表現するタイプとポーカーフェイスで隠し通すタイプ、反対に嫉妬なんて微塵にも感じた事が無いと言う人。
嫉妬とは男女間でのみ存在するものかと思いきや、実はそうではないんですよね。
余談ですが、今のクラスメートにも居る、自分の好んでいる人に近寄って来る者に対して排他的な人。
守られてる方は良いでしょうが、排除されようとしている方としては大迷惑ですよね。私とか(汗)
話が少々ズレましたが、愛情深い人は大抵が焼き餅焼きだと思います。
勿論一概にそうだとは言いきれないのですが。
とにかく、人に期待したり、特別な人として認識すると、必然的にそう言う感情って生まれて来るものだと思うんです。
今の私のようにそれらを一切立ち切ると、ものの見事に消えて無くなります。
それが本当に良いのかどうかは人によって意見が分かれて行くところでしょうね。
でも、ゆめとしては、気持ちに余裕が出来たと言う錯覚みたいなものを覚えて、気分が非常に楽になりました。
ゆめ自身、昔から物事に固執しない、さっぱりした人間になりたいと願っておりましたので、この心境の変化は「喜び」の一言に尽きます。
でも、嫉妬される側のポジションは悪い気は全く致しません。
愛される喜びと言うか…(そんな事、感じた日は以前に有ったでしょうか?)
とにかく、なりたい自分に変わる事は可能なんだ、と改めて実感しました。
でも、変わる事によって同時に失うものが出てくるのは当然の結果なのですね。
他人に興味を見出せなくなったのは、その人を失う時の辛さから自分を守る為。
言わば防衛反応なので、純粋に人を愛する事は、今のゆめにはまず出来ない事です。
無難な立場を未だ取り続けているゆめは、本当にこれで良かったのでしょうか?
P.S 知る人ぞ知る、謎の試し書き。。。
疑問に思った方、ごめんなさい、気にしないで下さいね。
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Good Friends?
2003年9月11日あなたには親友が居ますか?
「私達は親友です!」と堂々と宣言できる人が居ますか?
血筋には敵わないとしても、親友には肉親に言えない事を気兼ね無く言えたり、家族と居るよりも何倍も楽しい、と言う人も多いのではないでしょうか。
友人は一生の宝だ、と言う言葉もあながち嘘ではないのでしょうね。
まず、親友の定義って何でしょうか?
私が思う親友とは、困った時にお互いが無条件で助け合う事の出来る関係がそうだと思っています。
以前は常に行動を共にしている人が親友だと思っていました。
女性の方なら一度は経験が有ると思いますが、移動教室も休み時間も時間が有れば放課後もいつも一緒の友達って1人はいませんでしたか?
それでお互いを理解し合っていると勝手に思い込み、自分達の友情は何よりも強いものだ、と信じて疑わなかったのが最近までのゆめでした。
なので、その友人が突然他の友達と仲良くし始めたり、自分から離れて行ってしまうと「裏切られた」と自己嫌悪に陥り、嫉妬心で何か仕返しをしてやろうかと思っていた事も少なくありません。
親友=完璧な友達、みたいな方程式がゆめの中で出来上がっていて「親友は私の為なら何でもしてくれる、だって私だって親友の為なら何でもしてあげられるもの。」とずっと信念を持ち続けて来ました。
ところが、ゆめがふとしたきっかけで悩みを打ち明けた時、いかにも他人事だと言う様にあっさり聞き流されたり、本当に困って助けを求めた時「頑張りな」の一言で終わらせられてしまったり。
こんな事が度々ありました。
するとこの世の終わりの如く嘆き悲しんだものです。
そんなこんなで、今のゆめは親友、まして友達などと呼べる、呼びたいと思う人が居なくなりました。
最初は優しくても、人間は必ず裏切る、って事を自分の身を持って学びました。
…本当はこんな事思いたくないけど、又誰かが自分から離れて行ってしまうのが恐い。。。
これが本音なのです。
なので、自分が傷付かなくて済む最も楽な方法として「他人は所詮他人」と割り切る事にしました。
そうすればガッカリする事も無いし、絶望する事も有りません。そうでしょう?
今はこうして自分を護り続けていますが、いつか、ゆめを孤独から救い出してくれる人が現れる事を願って止みません。
あなたには親友が居ますか?
「私達は親友です!」と堂々と宣言できる人が居ますか?
血筋には敵わないとしても、親友には肉親に言えない事を気兼ね無く言えたり、家族と居るよりも何倍も楽しい、と言う人も多いのではないでしょうか。
友人は一生の宝だ、と言う言葉もあながち嘘ではないのでしょうね。
まず、親友の定義って何でしょうか?
私が思う親友とは、困った時にお互いが無条件で助け合う事の出来る関係がそうだと思っています。
以前は常に行動を共にしている人が親友だと思っていました。
女性の方なら一度は経験が有ると思いますが、移動教室も休み時間も時間が有れば放課後もいつも一緒の友達って1人はいませんでしたか?
それでお互いを理解し合っていると勝手に思い込み、自分達の友情は何よりも強いものだ、と信じて疑わなかったのが最近までのゆめでした。
なので、その友人が突然他の友達と仲良くし始めたり、自分から離れて行ってしまうと「裏切られた」と自己嫌悪に陥り、嫉妬心で何か仕返しをしてやろうかと思っていた事も少なくありません。
親友=完璧な友達、みたいな方程式がゆめの中で出来上がっていて「親友は私の為なら何でもしてくれる、だって私だって親友の為なら何でもしてあげられるもの。」とずっと信念を持ち続けて来ました。
ところが、ゆめがふとしたきっかけで悩みを打ち明けた時、いかにも他人事だと言う様にあっさり聞き流されたり、本当に困って助けを求めた時「頑張りな」の一言で終わらせられてしまったり。
こんな事が度々ありました。
するとこの世の終わりの如く嘆き悲しんだものです。
そんなこんなで、今のゆめは親友、まして友達などと呼べる、呼びたいと思う人が居なくなりました。
最初は優しくても、人間は必ず裏切る、って事を自分の身を持って学びました。
…本当はこんな事思いたくないけど、又誰かが自分から離れて行ってしまうのが恐い。。。
これが本音なのです。
なので、自分が傷付かなくて済む最も楽な方法として「他人は所詮他人」と割り切る事にしました。
そうすればガッカリする事も無いし、絶望する事も有りません。そうでしょう?
今はこうして自分を護り続けていますが、いつか、ゆめを孤独から救い出してくれる人が現れる事を願って止みません。
あなたには親友が居ますか?
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ゴキブリ的高校生活。
2003年9月10日疲れた。。。
0*00過ぎると日付が変わってしまうと言う事を昨日初めて知りました。
と言う訳で書き直します!
今日は現役高校1年生ゆめの日常を簡単にお話したいと思います。
16歳くらいのいわゆる普通の女の子の日常と言ったら、毎日教室で仲の良い友達とわいわい騒いで、放課後は部活で憧れの先輩と話せて幸せ〜…な〜んて何処かのドラマのような楽しい日々を想像致しますが、ゆめの日常はそんなのではありません。
授業中は眠りそうになる自分を叱咤して時計と睨めっこ、休み時間は誘いに来てくれる友達が居る訳もなく机に突っ伏して次の授業が始まるのを待つか、何処かに放浪の旅に出、お昼休みはクラスメートの意味の解らない会話に引き攣った愛想笑いを浮かべながら、ひたすらお弁当を食す。
部活に入っていない私は、誰よりも早く一目散に
逃げるように自宅へと撤退する。。。
こんな惨めな事を良く暴露できるな、と自分でもある意味感心しますが、これが現状なのです。
こんなゆめも昔はこんなんじゃなかったんです。
学生らしく(?)帰りはゲーセンでプリクラを撮って、マックでハンバーガーを頬張りながら噂話に花を咲かせる。。。なんて日々も有ったような無かったような(どっちだ)←恋話じゃなくて他人の噂話な所がミソ。
とにもかくにも、こんなコソコソしたゴキブリみたいな生活は送っていませんでした!
何を隠そう、ゆめがゴキブリと化したのは高校に入ってから。
入学式が終わって校内に友達と呼べる人が全く居ない中、マイペースにぼ〜っとしている間に周りは強固なグループが出来上がり、まるっきりあぶれ者状態。
精一杯おちゃらけてみせていますが、この数ヶ月間本当に辛い思いをして参りました。
今は幾分平和になりつつありますが、最近のゆめの幸せな日とは「嫌な事が無かった日」。随分と生活水準が低くなったな、などと自分で自分を嘲笑気味です。。。
あぁ、神様。
こんな私に輝かしい明日など望めるでしょうか?
光の眩しさを忘れ
色褪せた世界が広がるこの瞳に
再び、光が差し込む日はいつでしょうか?
ありがちですが、本当に神様に聞きたいこと。
BYE→国語の成績が今一つな、ゆめ
0*00過ぎると日付が変わってしまうと言う事を昨日初めて知りました。
と言う訳で書き直します!
今日は現役高校1年生ゆめの日常を簡単にお話したいと思います。
16歳くらいのいわゆる普通の女の子の日常と言ったら、毎日教室で仲の良い友達とわいわい騒いで、放課後は部活で憧れの先輩と話せて幸せ〜…な〜んて何処かのドラマのような楽しい日々を想像致しますが、ゆめの日常はそんなのではありません。
授業中は眠りそうになる自分を叱咤して時計と睨めっこ、休み時間は誘いに来てくれる友達が居る訳もなく机に突っ伏して次の授業が始まるのを待つか、何処かに放浪の旅に出、お昼休みはクラスメートの意味の解らない会話に引き攣った愛想笑いを浮かべながら、ひたすらお弁当を食す。
部活に入っていない私は、誰よりも早く一目散に
逃げるように自宅へと撤退する。。。
こんな惨めな事を良く暴露できるな、と自分でもある意味感心しますが、これが現状なのです。
こんなゆめも昔はこんなんじゃなかったんです。
学生らしく(?)帰りはゲーセンでプリクラを撮って、マックでハンバーガーを頬張りながら噂話に花を咲かせる。。。なんて日々も有ったような無かったような(どっちだ)←恋話じゃなくて他人の噂話な所がミソ。
とにもかくにも、こんなコソコソしたゴキブリみたいな生活は送っていませんでした!
何を隠そう、ゆめがゴキブリと化したのは高校に入ってから。
入学式が終わって校内に友達と呼べる人が全く居ない中、マイペースにぼ〜っとしている間に周りは強固なグループが出来上がり、まるっきりあぶれ者状態。
精一杯おちゃらけてみせていますが、この数ヶ月間本当に辛い思いをして参りました。
今は幾分平和になりつつありますが、最近のゆめの幸せな日とは「嫌な事が無かった日」。随分と生活水準が低くなったな、などと自分で自分を嘲笑気味です。。。
あぁ、神様。
こんな私に輝かしい明日など望めるでしょうか?
光の眩しさを忘れ
色褪せた世界が広がるこの瞳に
再び、光が差し込む日はいつでしょうか?
ありがちですが、本当に神様に聞きたいこと。
BYE→国語の成績が今一つな、ゆめ
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男性不信予備軍。
2003年9月8日ゆめの日記をお気に入りにして下さった方が初めて出来ました。
つばめさん、もしご覧でしたら、この場でお礼申し上げます☆★
長かった夏休みも終わり、以前通りの学校生活にも次第に慣れてきました。
高校生にもなると誰が誰を好きだとか、付き合ってるだとか、そんな話ばかりが飛び交うようになりますよね。
当のゆめはと言うと、その手の話には非常に疎いです。
特別可愛い訳でもないですし、どちらかと言うと脇役に徹している事の方が多いので、異性とは全く縁が無いと言うのが現状です。
実はゆめは少し男性不信気味です。
第1の理由は、小6の時とある男子に付きまとわれて嫌だった事。
そして第2の理由は友達、そしてゆめ自身が男子にいじめられていた事。
いじめと言っても、ゆめの場合は軽い悪口を言われたりする程度でした。
運動おんちで体育の時グループの足を引っ張ってばかりだったゆめは、常に男子の悪口の対象でした。
でも罵って来るのはごく一部の人達だけで、他の人達は普通に接して来てくれたので、それだけでもまだ救いでした。
ゆめが本当に男子に失望したのが中2の時。
クラスは違ったけど、多少仲の良かった子と同じクラスになりました。
最初は何事もなく毎日が過ぎていたのですが、新学期が始まって数週間経った頃、その子に対する男子の接し方が次第に目に付く様になりました。
彼女は引っ込み思案で、でも気の優しい子でした。
ぽっちゃりしていて今時な感じではないので、男子からチヤホヤされるようなタイプではありませんが、人に嫌われるような人でも絶対にありませんでした。
でも、何故か毎日のように男子に罵声を浴びせられていたのです。
朝のHRで、欠席者に彼女の名前が挙がると歓声が聞こえ、席替えで近くの席になると机を端に寄せたり、吐く真似をしてみせたり。
当時の私はそれをたしなめる勇気もろくに持ち合わせていなかったので、黙って聞いているだけでしたが、彼女は弱音1つ吐きませんでした。
彼女自身は「全然気にしてない」と言った素振りを見せていましたが、私自身は彼女と自分を何処かで重ねていたのでしょうか、男子に自然と偏見を持つようになりました。
それ以来、異性に話し掛けられると目を伏せて冷たくしたり。
それを「男子の気を惹こうとしている」と言う人もいましたが、別に気にしていません。
とにかく、今でもゆめの男性に対するイメージはさして変わっていないのです。
今日も授業中の周囲の話題は男関係でしたが、何だか複雑な気持ちで聞いている、ゆめでした。
P.S.確かに男性は多少苦手ですが、同性に興味が有る訳ではないようです。。。念の為。
つばめさん、もしご覧でしたら、この場でお礼申し上げます☆★
長かった夏休みも終わり、以前通りの学校生活にも次第に慣れてきました。
高校生にもなると誰が誰を好きだとか、付き合ってるだとか、そんな話ばかりが飛び交うようになりますよね。
当のゆめはと言うと、その手の話には非常に疎いです。
特別可愛い訳でもないですし、どちらかと言うと脇役に徹している事の方が多いので、異性とは全く縁が無いと言うのが現状です。
実はゆめは少し男性不信気味です。
第1の理由は、小6の時とある男子に付きまとわれて嫌だった事。
そして第2の理由は友達、そしてゆめ自身が男子にいじめられていた事。
いじめと言っても、ゆめの場合は軽い悪口を言われたりする程度でした。
運動おんちで体育の時グループの足を引っ張ってばかりだったゆめは、常に男子の悪口の対象でした。
でも罵って来るのはごく一部の人達だけで、他の人達は普通に接して来てくれたので、それだけでもまだ救いでした。
ゆめが本当に男子に失望したのが中2の時。
クラスは違ったけど、多少仲の良かった子と同じクラスになりました。
最初は何事もなく毎日が過ぎていたのですが、新学期が始まって数週間経った頃、その子に対する男子の接し方が次第に目に付く様になりました。
彼女は引っ込み思案で、でも気の優しい子でした。
ぽっちゃりしていて今時な感じではないので、男子からチヤホヤされるようなタイプではありませんが、人に嫌われるような人でも絶対にありませんでした。
でも、何故か毎日のように男子に罵声を浴びせられていたのです。
朝のHRで、欠席者に彼女の名前が挙がると歓声が聞こえ、席替えで近くの席になると机を端に寄せたり、吐く真似をしてみせたり。
当時の私はそれをたしなめる勇気もろくに持ち合わせていなかったので、黙って聞いているだけでしたが、彼女は弱音1つ吐きませんでした。
彼女自身は「全然気にしてない」と言った素振りを見せていましたが、私自身は彼女と自分を何処かで重ねていたのでしょうか、男子に自然と偏見を持つようになりました。
それ以来、異性に話し掛けられると目を伏せて冷たくしたり。
それを「男子の気を惹こうとしている」と言う人もいましたが、別に気にしていません。
とにかく、今でもゆめの男性に対するイメージはさして変わっていないのです。
今日も授業中の周囲の話題は男関係でしたが、何だか複雑な気持ちで聞いている、ゆめでした。
P.S.確かに男性は多少苦手ですが、同性に興味が有る訳ではないようです。。。念の為。
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